ひかるのブログ

マキシマリスト地方医大生

【オードリー若林】何者かになった人が何者でもない時に書いたエッセイの中毒性【だが情熱はある】

医学部あるある.4年は鬱.

 

さて,僕はオードリーが好きで,ここ最近は2023年4月日曜ドラマ『だが、情熱はある』を見てた.特に春日若林のどちらが好き,といったことはなく,今回のドラマで若林正恭に惹かれたので,何冊かエッセイを読んでみようと思いとりあえず最初の一冊を読んでみることにした.

 

おそらく僕が若林を好きになったのは,あの何者かになりたいと思う凡人性であり,やる気のなさであり,じゃない方芸人特有の影の薄さだったり,いわゆる「足りない」部分に惹かれたのだと思う.

 

そんな「足りなさ」に自分を重ねながらページをめくっていくわけだが,若林の場合は結果的に売れっ子芸人になっているという,現実からのネタバレゆえに不安定な時期のエッセイを安心して読むことができる.

 

ところが,僕の人生はまだ不安定で,当然未来から来た僕が人生のネタバレをしてくれるはずもないので,不安定なまま読む不安定なエッセイなのである.

 

そんな不安さには耐えられないから,誰かの物語をまるで自分のものかと勘違いするべく,ついつい読み進めてしまい,読み終えた後ももっと読みたくて残り2冊のエッセイまで買ってしまうのである.

(ちなみにこのような精神的安定を保つための無意識的な自我の働きを「適応機制」と呼び,その中でも特に「他者の感情や価値観を自分のもののように感じる(自分に自信のない人が憧れの人を模倣すること)」ことを「取り入れ (introjection)」と言う.)

 

この中毒性は凄まじく,読み終えた後も「はあ,何者かになりたい」以外の感想が出てこない.何者かになった人が何者でもない時に書いたエッセイは法律で規制すべきだと思う.

 

普通に若林正恭ファンとして読む分には面白い3冊だった.もう少し歪まず僻まず読めるようになりたいなあ.