ひかるのブログ

マキシマリスト地方医大生

自動車は散歩を拡張するか【都会の徘徊と田舎のドライブ】

東京の,それも山手線の内側で高校時代を過ごし,今は地方国立大学の学生をやっています.

突然ですが皆さん.散歩は好きですか?僕は好きでした.大学受験生だった頃は特に好きでした.御茶ノ水のS台周りは起伏に飛んでる上に,医科歯科順天堂ドーム湯島天神があって大きめな本屋もあり散歩がとても楽しかった記憶があります.夜になるといい感じの気温になって道や店のライトがつく.駿河台の外縁部は大した店がなく街灯も少ないので,男坂の石の階段なんかは絶妙な非日常感を演出していてとても好きでした.(駿河台は結構台地なので崖に聳えてるS台8号館を裏から見るとまた違った表情を見せてくれます.僕が好きだった石の階段はその横にあります)

 

ドライブは散歩の拡張たり得るか

結論,なりません.



散歩の楽しさ

しばしば,散歩は「歩くこと」に主眼が置かれがちです.でも実は,それ以上に「時間の流れ方」が大切な気がします.より正確に言うなら,日常の雑務から抜け出して非日常に囲まれている時間を楽しむこと,でしょうか.フラフラ気になった店に入るもよし.気になった道に進むもよし.ある種のほんのわずか先の未来に余裕を持ちながら過ぎていく時間に身を委ねるのが散歩の楽しさだと思います.

 

ドライブは散歩と何が違うのか

 散歩の楽しさが「ほんのわずか先の未来を,次の一歩でなんとでもできる余裕」にあるとするならば,ドライブにはそれがありません.基本的に目的地を決めて出発しなければいけませんし,標識や信号などの交通ルールも守らなければなりません.もしも目の前の角を左折したくなっても,その3秒前に決断してウィンカーを出さなければなりません.
散歩とドライブでは,ミクロな移動における自由度が圧倒的に異なるわけです.


散歩は「る・らる」の移動


「る・らる」とは受身,自発,可能,尊敬の意味を持つ古文で登場する助動詞です.おそらく古文助動詞知名度ランキングがあったらtop3には入るくらい有名な助動詞ですね.この助動詞の本質は「どうしようもなく,仕方のないこと」だと言われています.詳しくは古文の教科書等をあたって欲しいのですが,一番わかりやすいのは受身でしょうか.「雨に降られる」は自分でどうしようもないですよね.

 

さて,自分が散歩をしている情景を思い浮かべてみましょう.
徒歩の時速4km/hでの移動では周囲の景色や空気を,自分の意思に関わらず感じてしまうことでしょう.そもそも散歩において一歩一歩踏み出すことは,そこに硬い決意があるわけではなく,ついついしてしまうことです.「る・らる」における可能は「一度できるようになってしまうと,『できない』ができなくなること」なので少し違いますし,尊敬も散歩には登場しませんが,なんとなくタイトルのニュアンスは伝わったかと思います.


一方自動車での移動は,風景を楽しむ暇もなく(なくはないですが),ある程度意思を持って右左折をせなばならず,目的地が必要になります.


自動車での移動はあまりにも「興味のあること,場所にしか行かない」ものだと思います.それはそれで楽しいのですが,自分の興味のないものとの出会いは圧倒的に散歩の方が多く,それゆえ楽しさの広がりやすさにおいて散歩は優れているといえます.

 

 


ということを考えながら僕は夜の田舎道を歩いていました.歩くなら都会の方が楽しいですね.